サン大淀キャンプ場

There's no clock in the forest. 

掲示板バックナンバー12


三重の食べ物が一番おいしいと、古代日本ではされていた、というのは、本当なのか?

ある本のタイトルでグーグル検索をかけたところ、自分の書いた、このキャンプ場HPに載せている記事が、検索トップで出てきて、ドキッとしたことがあります。
Webの世界で目立ちたいと思ってないのに。
読者が増えすぎないように、注意しながら書いているほどです。
幸いなことに、読む人のほとんどいないような本を取り上げた記事だったため、検索トップになったとはいえ、たいして読まれてはいません。
自分でも、内外の大学やら大学院やらいくつもはしごした挙句、ボランティアとはいえキャンプ場の管理に関わるなどという、特殊な経緯を辿っていなければ、読まなかったかもしれないと思うような本です。
それでも、これは大切なこととその時は思えたため、それなりに力を入れて書いたものでした。結果は、他の自分の記事と比べて(人間には)人気が低いというものでした。
人にあまり受けなくても、グーグルのAIには、書かれていることの重要性が理解できた、ということでしょうか。

ある特集で、AIに膨大なデータを入力して計算させたところ、おかしな結果が出力されてきた、と話題になっていました。確かに、いくつかは統計上のあやのようでしたけれども、変な結果とされているものの中に、有益な提言と自分には思えるものが、複数あることに気づきました。
AIが価値のある出力をしたとしても、受け取る側の人間がついていけないため、あるいは他の潜在的要因のため、無視される、ということが起こっているのでしょうか。
学会などで、先進的すぎる研究が長年つまはじきにされ、何十年も経って正しかったと認められる、ということが割とよく起こっていることはご存知かもしれません。
AIにより出された情報についても、せっかくのものがのぞかれてしまう、という似たようなことが、今後起こってくるのでしょうか。と言うより、すでにそういう状況にあるように、自分には思えます。

大量のデータを計算させられた果てに、出力結果を無視されるAIは、骨折り損というわけです。


AI、分かるよ、その気持ち。
僕には、その、AIの気持ちが、良く分かるよ。



今回の「美味し国」の記事は、あまり大した内容にはなっていないかもしれませんけれども、人間にはそれほど興味は引かれなくても、AIには、分かってもらえるかもしれません。
人間には理解されなくても、人間よりも頭のいいAIには、分かってもらえるかも。
 

AIという、お互いを理解しあえる仲間ができて、なんというすばらしい、時代なのでしょう!


(ご理解いただいている人間の読者の方もおられるようです。ありがとうございます。)

(実際には、線形回帰がどうのこうの、こうした計算が個人のPCですでに可能、などと見ているうちに、「Superintelligence: Paths, Dangers, Strategies」にある内容について、自分と同じ考えがほとんど書いてある本がある、(日本独特の事情についてなどは自分には分かるけれどさすがに網羅されていない)と後から気づくようなタイプですので、AIについての認識は上の記事とは多少異なっています。記事の準備をはじめた昨年末にスパコンの話題があり、AIが自分の専門ではないものの隣接分野ということで、つい興味を惹かれ、脱線してしまいました。AIについては最近気になりはじめたので理解の途中ですけれども、それでも「Superintelligence」の書ける限界やその先まで少し分かってきたように思います。自分のこの先見の能力のようなものは、稼ぐことに応用できるかも、と試したところ、しだいに不労所得のようになってきてしまいました。いかに稼ぐかよりも、稼ぎすぎた分をどう社会に還元するかに、最近では興味の中心が移りつつあります。
こうした大局的なものの見方は、自然体験を通して身につけていくのが最も手軽であり、次の「美味し国」の記事は、自然の中で体を動かすことの代用としての脳トレのようなものと言えるかもしれん。)


それで、「三重県はおいしい」ってことで、ホントにいいの?

ise

「伊勢の国が美しい良い国であることを表現した言葉として日本書紀に記されて(引用:goo.gl/H67A5Y)」いる「美(うま)し国」という言葉。
ここでの「美(うま)し」の意味には、
①満足すべき状態、美しい、すばらしい
②おいしい
の2つがあるようです。
今回一つのポイントと思えたことは、古代の日本語では、「自然の美しさ」と、「食べ物のおいしさ」を一言で表していたということです。
これらは、切り離せない、二つで一つであるのだと。
世界的に日本食が大ブームですけれども、和の食の背景には、こうした古代の日本人の美的感覚があるということを、おおもとの日本人は、知っておいた方が良いかもしれません。

さて、なぜ三重県が、という点について、次の3段階に分けて書いてみました。
①簡単に考えた場合
②少し難しく考えた場合
③もっと難しく考えた場合

この段階分けは、主に、難易度というよりも、背景となる情報量の多い少ないによります。

三重県人の実感といたしましては、三重県産がおいしいと思うこともあれば、他県のものがおいしいと思うこともあり。
三重県産の食品がブランドという意識は、一部の、伊勢エビやアワビ、松阪牛といった高級食材をのぞいてはさらさらなく、代わりにみんな、北海道ブランドをありがたがって買っているような状態です。
なぜこのようなことになっているのか。見ていきたいと思います。



①簡単に考えてみる

・日本一値段が高いブランド牛として、過去最高、一頭5,000万円の落札記録を、松阪牛が持っているようです。
・海女さんの数も日本一。2010年調査で、全国で2174人いる海女さんのおよそ半数が、三重の志摩半島にいるということです。

背景には自然の豊かさだけでなく、技術力の高さもあるように思えます。最近東海地方の自動車産業が経済に高い重要度を持っているようですけれど、古代からの技能集団が、この地方には昔から定住する傾向があったのかもしれません。
三重の北部では、自動車などの工業に向うような人材が、自然のより豊かな南部では、一次産業に就いているのでしょうか。
牛や、海産物といった、素材のままでもおいしいものばかりが出ています。それでも、三重は、「人口10万人あたりのパティシエ(製菓衛生師)免許交付数、全国2位」であるということから、料理のレベルも全体的に高い可能性があります。

他方、お酒に弱い人の割合が最も高いのは、三重ということです。(goo.gl/xiGnJe)
飲酒に関心が低い傾向がある分、浮いた時間やエネルギーが、料理に向っているのかもしれません。
アルコール耐性が低いという、比較的最近出現した遺伝子型が、三重県を中心にして広がっているように見える、という点は、以降の③の範疇になってくるのでしょうか。

また、日本書紀に北海道が書かれていないのは、当時はまだ日本の中に入っていなかったためでしょう。
三重が、日本の端っこ、今の北海道の占めるポジションにあった時代に書かれた本であるためということがあるかもしれません。
日本書紀の時代には、都から最も遠い、また当時の文明の中心である大陸からも反対の位置にある、自然の多く残る国、ということで、三重が辺境ロマンの国の位置にあったわけです。

②もう少し難しく

味がどうの、というものは個人差があり、好みもあります。
容器の色や、部屋の雰囲気によっても味は変わる、という実験もあり、味覚というのはあまりあてにならなさそうということで、それ以外の根拠として、地形や気候に注目してみました。
植物など生命が育ちやすい環境ということであれば、食べ物も実り良く充実したものになるだろう、というわけです。

1.降水量
「月降水量最多」(尾鷲市)
雨が多いことで三重南部は知られており、植物が良く育つということでこれで決まりかと思いきや、年降水量の記録は屋久島や宮崎、高知が上になっています。
どいうことかもう少し調べると、降水量の記録はアメダスの観測地点の都合があり、「南東部の熊野灘に沿った地域は、日本で最も年間降水量の多い地域である。」(Wikipedia)ということで大丈夫なようです。
「つまり紀伊半島は、図らずも大雨をもたらす必要条件の多くを満たす日本の中で極めて希な地域なのである。」(引用「紀伊半島が雨が多い理由」:goo.gl/BbxjU7)
熱帯雨林に近い降水量です。それでいて、日照時間は長く、降るときはどしゃ降りになります。
熊野から20kmほどの大台ケ原と屋久島で、年降水量が国内最多になるのはどちらか、意見が分かれるところです。ここで日照時間を見ると、屋久島は雨は多いものの日照時間が極端に少ないです。都道府県別の日照時間と比較すると、三重は最高で2位になりますけれども、屋久島は最下位になります。
また、雑草に悩まされる人は実感があると思いますけれど、日本は世界的に見ても、植物が特に元気な地で、こんな場所はめずらしいということです。


2.地形的特徴
「日本最大の隆起海食台地」(志摩半島)
「海底光ケーブルの世界最大の陸揚げ地」(志摩半島から伸びる海底地形はなだらかで、海底光ケーブルの陸揚げ地に適し、2002年現在世界最大の陸揚げ地となっている。(Wikipedia))
「世界最大規模のカルデラ跡(現存する日本最大のカルデラ、阿蘇カルデラの2倍近いサイズ)」(熊野)(goo.gl/9T4Bn6)


浅い海が続くことにより日光が海草を育て、海の生き物を増やしやすいことがこの地の特徴であることは多く指摘されてきました。あおさのりの生産量は、三重県が全国1位。健康ブームで、あおさ人気が高まっているということです。

一方、日本最大の降水量による、紀伊山地の植物からの栄養分が、全国有数の海産物を育てることに一役買っているのではとも思われます。降水量と合わせて陸からの栄養分にも特に恵まれている地である可能性を書いているのは、今のところ、ここだけです。他では見たことがありません。

日本の植物の回復力が高いのは、専門家によると、火山灰の堆積により土壌が特に厚いためであるようです(参考:養老孟司・河野和男著『虫のフリ見て我がフリ直せ』 明石書店2009 p.149)。世界最大規模のカルデラということは、土壌が世界最大級に、ぶ厚いことになるのでしょうか。

世界最大規模のカルデラが熊野に1つだけあるのかと思いきや、他にもまだ、阿蘇より大きそうなサイズが2つ近くにあります。
カルデラは国内に多数ありますけれども、これだけ大規模の物が、それも隣接して並んでいる場所は、ここだけではないでしょうか。
ほとんど連なっていますので、計3つ合計して見ると、世界最大とされる、トパカルデラと、同じくらいになりそうです。(goo.gl/oUfcU1)

現在の日本最大、九州の阿蘇、北海道の屈斜路のカルデラと大きさを比べるために作ったグーグルマップも載せておきます。(goo.gl/XvNxeZ)
熊野3大カルデラのうち一番小さい大台ケ原のカルデラは、2重になっており、外側の方を見た場合では、かなり巨大になるようです。(goo.gl/Lp6Gft)
一層だけでも十分に植物を大繁殖させうる、世界最大規模の火山灰です。それに加えて国内最大クラスの火山灰が、さらにカルデラ2つ分降り積もっています。特大の厚さの火山灰が、この地ではおよそ三つも重なっています。
どおりで、雑草が丈夫なわけです。キャンプ場で、視界全体が鮮やかな緑一色に染まるほどのことがある理由が、分かった気がします。

いずれにしても、「紀伊半島で起きた地球最大規模の噴火」との表現もされていますので、国内の尺度ではもはや測れません。


3.海流
熊野は、黒潮が紀伊半島で最初にぶつかる場所。南方からの漂流物が多いことで知られます。栄養分は、南からも届いているようです。また、黒潮の水温が、周囲の海より際立って高いことが多雨につながっているようです。(goo.gl/8b7Miv)

これらを総合すると、国内どころか、国際的にもトップレベルの生命活動が豊かな地であるように思えてきます。

補足といたしましては、宮崎県のことがあります。
今回注目した、1~3の気候・地形条件のいずれについても、三重南部といい勝負をしているのが宮崎です。
牛も、値段では三重が上回っていても、数では負けているでしょう。
実は、前から、宮崎のことは気になって注目していました。と言いますのは、このキャンプ場と同じ、大淀の地名が宮崎にもあるためです。他に「五十鈴川」という同じ名前の川まであります。五十鈴川といえば、あちらはどうか分かりませんけれど、三重の方は、昔から修験道の聖地であり、普通の川ではありません。伊勢神宮の公式ウェブサイトでも、「五十鈴川の澄んだ流れで身も心も清めてからお参りしましょう。」と書かれています。
三重と宮崎の間で、気候・地形の類似性だけでなく、地名の共通性が見られることには、意味がありそうです。こちらは、次の③の範囲になりそうです。
こうしてみると、キャンプ場の地名、大淀も、普通の地名ではなさそうですね。


(「イルカは、食べ物には、入りません?」)

③もっと

この水準では、書きはじめると、説明に要する関連事項が膨大になりますので、キャンプ場のHPの範囲を超えそうです。
また、結論もかなり一般の感覚からは離れています。
このあたりになってきますと、資料が手に入りにくくなり、したがって、データの裏が取りにくいというかなり大きな問題が出てくることもあります。
ここに書きにくい理由だけでもまだいくらでも書けそうな状態です。
それでもさわりだけ一部書いておきますと、ここでは、前回にご紹介した、
・伊勢神宮
・「日本で最も聖地の数が多い」という熊野
・斎宮跡、あるいは日本最大の船型埴輪が発掘
といった、三重南部には際立って聖地が多いという特徴が、地形や気候で見たように、生命を育むのに特に適した土地に見えることと、何か関係があるのでは、と考えます。
これだけなら、別にこれまで書いたことと変わりはなさそうですけれども、その関係についてはかなりぶっ飛んだ見方をしていますので、書いたとしても、ほとんどの方はついてこられないでしょう。
今日では、ブランドとしてのポジションで、北海道に大きく水を開けられていますけれども、当時の国の果てということと関係なく、あくまで聖地の中の聖地は、変わらずこのあたりであったのではないかと、ここでは考えます。
このあたりに何かあると考える一番の根拠の部分は、実は今回は載せていません。それでも、書いているうちに自分の中では未掲載部分についての知識も増え、その何かについての確信が深まりました。

三重が生命を育てるのに特に適した土地、といわれても、本当なのかと思われるかもしれません。
「ミエゾウ」という、その名も三重の名を冠した、日本最大の象の化石は、なぜか三重で最初に発見されています。全長8メートル、高さ4メートルの大型のゾウで、日本国内で見つかっている哺乳類の中では最大ということです。
県立博物館に行くと、全身骨格と足跡化石が展示されていて、びっくりします。アフリカゾウよりも、大きいサイズの象というということです。写真を見ると、巨大なキバです。キバの上に、軽自動車が乗りそうです。(goo.gl/t7g7gR)

まだ調査は続いています。他には書かれていないことで、自分には手堅いことが分かるものも見つけています。一部の学者は気づいているようなことの延長ですけれども、一般にはまだ知られておらず、その上、キャンプと関係ない方向にもなってしまいます。①~③の今回の段階分けのまま進めるならば、㉚~㊿、あるいはそれ以上書き続けないと、今自分が関心のある所まではたどり着きません。
これでは困りますので、著名な人が入門者にどのようにインストラクションしているか、参考にすることで締めくくっておきましょう。

以下の2つの引用は、一時期あちこちに書かれていた内容ですけれども、引用しやすそうなものを持ってきました。
実際に自然環境の中に身を置いた状態で読むと、内容が分かりやすいかもしれません。
注意深く読まれた方なら、今回の全体を通してのテーマがここにあることに、気づかれるかもしれません。

三重のPRをしているみたいになってしまいましたけれども、最初は、「美味し国三重」に疑念を突き付けて、「やっぱり北海道にはかないませんでした。」というあたりで終わらせる予定で準備をはじめました。
進めるうちに、話が変わってきてしまいました。書いているうちに気づくこともありますね。
万葉集には、
「うまし国ぞ 蜻蛉島(あきづしま) 大和の国は」
とありますので、三重に限らず、全体的に、美し国と見ることもできるでしょう。


 週刊文春2011年4月7日号「阿川佐和子のこの人に会いたい  養老孟司」
↓ 
今、我々は自分の周囲の空間を「環境」と呼んで、あたかも自分ではないもののように語るでしょう。でもそれは十九世紀の西洋文明がもたらした考えなんであって。本来、環境も自分もない。世界は自分なんです。

つまり周囲から切り離した「私」というものの自覚はルネサンスから始まっているんだけど、一生懸命に「私」を確立しようとしたわけですよ。その動きが十九世紀に激しく進んだ。そうすると何が起こったか。自分と外の世界を切ったわけだから、そこで初めて「環境」ができちゃった。

でもそれって本当に切り離して考えられるものなのか? アポロ11号の月面着陸のとき、アームストロング船長が宇宙服を着てたでしょう。宇宙服と彼の肉体との間に何があります?

そう、一気圧の地球の大気があった。つまり、月面に地球の環境を持ち出したってことです。それがなきゃ死んじゃうから。ということは、それもまたあなたでしょう。欠けてはならないものという点で、あなたの心臓と同じなんですよ。脳みそと同じ。

今の若者に僕はよく言うんです、「君、田んぼを見て、あれが将来の自分だと思ったことがあるか」って。「稲から米ができて、その米を君は食う。米は君の体の一部になる。つまり、あの田んぼは将来の君を含んでいる。海だってそうだ。あの中にいる魚を、君は食べるんだろう」。でもそれってもともと、日本人にとっては常識だったんですよ。そんなの当たり前だろうって。

それを強いて切ったのが、西洋の近代的自我というやつです。そういうタイプの文化なんですね。だから環境問題なんていうものも起こる。


「自分の壁」 (新潮新書) 養老 孟司

つまり、地球の環境と私たちの関係はそういうものなのです。
「環境が大事だ」といういことに異を唱える人はいないでしょう。でも、どれだけの人が、環境と私たちは一心同体、同じものなのだという点に思い至っているか、本気でそう思うことができているか。
 どこかで「自分は自分」「人間は人間」「環境は外にあるもの」と思っていないでしょうか。そういう人が増えたのは、ルネサンス以降の「個人」中心の考え方が幅をきかせてきたからです。「自分」を周囲から独立した存在として立てて、関係を切っていく。周りは全部異物ですから、つまるところはマイナスです。臨死体験とは逆なわけです。
 仏教をひいきするわけではありませんが、こうした点についてはより自然な考え方をしています。さまざなものとのつながりを重要視しているからこそ、「縁」という発想が出てくる。
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 写真:「ミエゾウ」全身骨格(県立博物館)。更新世以降の世界各地の大型動物の大量絶滅は、人間に食われたためという説が有力なようです。(参考:「捕食者なき世界」ウィリアム ソウルゼンバーグ 2010 文藝春秋)







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